2012年2月15日

2010年5月28日

思春期、セイシュン。

中学生にとっての―

部活 or クラブチーム(参加者地区が広範囲)

学校行事(体育祭、修学旅行) or 大会

発表会開催時期が同地区でもマチマチ。
なので、クラブチームの団体も学校行事スケジュールを加味できない。
(少年野球だと区単位の大会だとチーム相互に加味しながら、なんとか可能。)


どちらもセイシュン。


ブカツがアタリであれば(熱中できれば)ベスト。
でも、学校も部活はボランティア。熱心でない部活の方が多く感じる。
(何ならやりたくない先生もいるとか)

クラブチームは、まぁどこも一生懸命。でも指導者、教育者としては、ムラがあるかな。
(そういう意味では、教師もそうかな。でも、そんなこと言ったらキリないか。大人。)

だから、学校かクラブチームか、
どちらに参加かを考えなければいけないことがあり得る。もちろん学校をベースに考えるわけだけど、理解してもらえる先生はまだよいが、そうでない先生とがいたりすると、
子どもはキツイ。

子どもたちにとって、何が大切で、大人は何をするべきか。
もっと環境を整えてあげなければいけないなぁ。学校もクラブチームも。


子どもたちのための教育。

2010年5月19日

ジャッジ


審判講習会。 少年野球でもリトルシニアでも毎年行われています。

セーフッ!アウトォーッ!この”ッ”とか”ォーッ”が重要なんです。
堂々とジャッジするには、自信が必要で、その根幹には、公正である血が流れ続けていなければならない。

子どもたちの野球のために、よい社会人になってもらうために。

ストライクゾーンとか、審判の場所取りとか、総勢40名から100名前後の大人が、グラウンドで大声を張り上げながら、そんなことを改めて講習していただいている感じです。

公正である。

もともと子どもと野球をするということがきっかけでコーチをやっている人たちが、 審判をやっているので、そんなに好きなことでもないし(中には好きな方もいらっしゃる)、 新しいことを学ぶし注意も受けるし。 でも子どもの野球と将来のためになると思うと、

大人として、責任感。

ヒトとして、使命感。

野球での審判は、地球規模で考えたら小さなことですが、そのひとつの審判(ジャッジ)が子どもたちのココロにどう響くのか。
自分に有利でなくても、公正であれば、その大切さを感じてくれる時がくるハズ。

地球のために、ジャッジ。

2010年4月17日

勝敗。 -その先

大会で勝ち進むということー。

少年野球や中学生、勝ち進むのはウレシイ。 イイ想いでになる。

目標は優勝!っていうところを目指してガンバルのが自然だけど、
どのように、頑張り、目指すか、ってところは、

指導者次第。大人次第。環境次第。


子どもたち自身が、純粋に、みんなで勝ちたい!
ってのは小学生、中学生では、こっぱずかしくて中々上手に表現できない。
それを引っ張ってあげたり(モチベーションアップ)、楽しいと思わせる(練習内容)ことなど、

で、大人が表現の手伝いをしてあげる。



その過程での勝ち、ですね。だから負けてもよい。


というのも、負けて学ぶことのほうが本人にとって、分かりやすかったりして胸に響く。
(くやしいとか。泣いたりとか。)

人生、を考えれば、その方がよい。



「その先」をみて。


それでも勝ちながら学ぶこともある。 たくさんある。



だから、

本当は、勝ったり、負けたりがよいと思う。

2010年4月8日

強いチーム<人集めと人づくり>

“人集めと人づくり"である、とノムラカツヤ氏は言っています。
プロ野球の場合。

でも、その流れ(人集め=スカウト)は、社会人、大学、高校までに及んでいます。
学生は、”教育”をすべきですね。”人づくり”の方。

”人集め”も必要ですが、スカウト、ではなく、野球をとおして教育をするために、
魅力的なチームづくりをすべきかな、と。
みんなが、野球をやりたい、と。

それは”強さ”も、”雰囲気”も。
常に優勝ではなくてもよく、でも、ちゃんと狙えるところに行けるチームづくり。


これは子ども(選手)の問題(人集め)ではなく、指導者を含めた大人の努力(人づくり)かな。

2009年2月24日

背・番号

背番号がもらえるか、もらえないか。
何番をもらえるか、一桁か二桁か。

子どもにとって、その発表の時はキドキの時です。でもグラウンドにでたら、背中についている番号。他の人からみての番号です。

一桁、よい番号をもらった子は、その番号に応える強い思い、責任が必要です。この子たちにとっては、大きなものであるべきです。背負う。

二桁、大きな番号をもらった子、自分の想いと違う番号をもらった子にとっては、グラウンドにでれば、あまり大きなものではない。本人がそうは言わないかもしれませんが、そうあるべきで、そう伝えてあげるべき。プレーやがんばりのきっかけになればベター、でも番号にばかりこだわり過ぎても、子どもにとっては解りづらいかも。活躍できるように楽しみ、がんばる。プレーが楽しい。

ベンチいりができない背番号をもらえない子たちにとっては、行動パターンが違うので、ケアがとても大事。なぜもらえないのか、どうしたらそこに近づけるのか、あくまでも自分をよく知る機会で、他との競争での番号奪取を目的にしてはよくありません。親としての大人は、そのポイントに気をつけてあげなければいけません。

ポイントを違うところ―もらえたもらえない、何番か、に持っていってしまうと、子どもにとって、折角の成長機会損失です。
そんな意識、メンタル面での充実を考えてあげないと、子どもがよい育みをしない。チームとしても、まとまらない。お互いを思えること。


ちなみに私は少年野球6年生の時は、20番(ベンチ入りギリギリ)。6年生が5、6人程度だったので、そのレベルはわかるでしょうが。
中学では、2番。大した活動をしている部活ではなかったというのもあるかな。
で、その後草野球では、11番。41番の4の部分をカッターで切って11に加工してあったもの、が最初の番号でした。なんだか愛おしくて、11月生まれというのもあってか、11は好きな番号です。




野球バカ二代: 2.22”22”

2009年2月16日

そうであったり、なかったり。

声が急に低くなり、ヒゲがちらほら生えてきて―。大人になりつつある、成長のサインの一つです。
考え方や興味のポイントも変化が起きる。いろいろと。

野球での練習もガツガツやるかっつったらそうであったり、なかったり。
ゆらゆらしてる。
でも、変わってないかな、関わり方は。だから子どもの方もそうは変わらない。

時に一緒に練習の機会をつくる。
そこで、何かを感じることもある、そうでもない時もある。

尊重して、伝える時は、がっつり説明する。それは一人のヒトとして接する。
子どもだから何々、まだ中学生だから云々というのは、説明にはなってないですね。子どもって何よ?何を知ってて、知らないのか。じゃあ教えてよ、って感じでしょう。ココロの中では、中学生ぐらいってそんな葛藤が特に多いんじゃないでしょうか。自然に接して、解ってあげる、(気持の上で)側にいる。

そうやって、”よい大人になってほしい”ですね。”よい息子でいてほしい”では、子どもの世界が狭まっちゃいますから。

子どもであったり、大人であったり、

そうであったり、なかったり。



野球バカ二代: 愉快→努力→愉快