2010年5月28日
思春期、セイシュン。
中学生にとっての―
部活 or クラブチーム(参加者地区が広範囲)
学校行事(体育祭、修学旅行) or 大会
発表会開催時期が同地区でもマチマチ。
なので、クラブチームの団体も学校行事スケジュールを加味できない。
(少年野球だと区単位の大会だとチーム相互に加味しながら、なんとか可能。)
どちらもセイシュン。
ブカツがアタリであれば(熱中できれば)ベスト。
でも、学校も部活はボランティア。熱心でない部活の方が多く感じる。
(何ならやりたくない先生もいるとか)
クラブチームは、まぁどこも一生懸命。でも指導者、教育者としては、ムラがあるかな。
(そういう意味では、教師もそうかな。でも、そんなこと言ったらキリないか。大人。)
だから、学校かクラブチームか、
どちらに参加かを考えなければいけないことがあり得る。もちろん学校をベースに考えるわけだけど、理解してもらえる先生はまだよいが、そうでない先生とがいたりすると、
子どもはキツイ。
子どもたちにとって、何が大切で、大人は何をするべきか。
もっと環境を整えてあげなければいけないなぁ。学校もクラブチームも。
子どもたちのための教育。
部活 or クラブチーム(参加者地区が広範囲)
学校行事(体育祭、修学旅行) or 大会
発表会開催時期が同地区でもマチマチ。
なので、クラブチームの団体も学校行事スケジュールを加味できない。
(少年野球だと区単位の大会だとチーム相互に加味しながら、なんとか可能。)
どちらもセイシュン。
ブカツがアタリであれば(熱中できれば)ベスト。
でも、学校も部活はボランティア。熱心でない部活の方が多く感じる。
(何ならやりたくない先生もいるとか)
クラブチームは、まぁどこも一生懸命。でも指導者、教育者としては、ムラがあるかな。
(そういう意味では、教師もそうかな。でも、そんなこと言ったらキリないか。大人。)
だから、学校かクラブチームか、
どちらに参加かを考えなければいけないことがあり得る。もちろん学校をベースに考えるわけだけど、理解してもらえる先生はまだよいが、そうでない先生とがいたりすると、
子どもはキツイ。
子どもたちにとって、何が大切で、大人は何をするべきか。
もっと環境を整えてあげなければいけないなぁ。学校もクラブチームも。
子どもたちのための教育。
2010年5月19日
ジャッジ
審判講習会。 少年野球でもリトルシニアでも毎年行われています。
セーフッ!アウトォーッ!この”ッ”とか”ォーッ”が重要なんです。
堂々とジャッジするには、自信が必要で、その根幹には、公正である血が流れ続けていなければならない。
子どもたちの野球のために、よい社会人になってもらうために。
ストライクゾーンとか、審判の場所取りとか、総勢40名から100名前後の大人が、グラウンドで大声を張り上げながら、そんなことを改めて講習していただいている感じです。
公正である。
もともと子どもと野球をするということがきっかけでコーチをやっている人たちが、 審判をやっているので、そんなに好きなことでもないし(中には好きな方もいらっしゃる)、 新しいことを学ぶし注意も受けるし。 でも子どもの野球と将来のためになると思うと、
大人として、責任感。
ヒトとして、使命感。
野球での審判は、地球規模で考えたら小さなことですが、そのひとつの審判(ジャッジ)が子どもたちのココロにどう響くのか。
自分に有利でなくても、公正であれば、その大切さを感じてくれる時がくるハズ。
地球のために、ジャッジ。
2010年4月17日
勝敗。 -その先
大会で勝ち進むということー。
少年野球や中学生、勝ち進むのはウレシイ。 イイ想いでになる。
目標は優勝!っていうところを目指してガンバルのが自然だけど、
どのように、頑張り、目指すか、ってところは、
指導者次第。大人次第。環境次第。
子どもたち自身が、純粋に、みんなで勝ちたい!
ってのは小学生、中学生では、こっぱずかしくて中々上手に表現できない。
それを引っ張ってあげたり(モチベーションアップ)、楽しいと思わせる(練習内容)ことなど、
で、大人が表現の手伝いをしてあげる。
その過程での勝ち、ですね。だから負けてもよい。
というのも、負けて学ぶことのほうが本人にとって、分かりやすかったりして胸に響く。
(くやしいとか。泣いたりとか。)
人生、を考えれば、その方がよい。
「その先」をみて。
それでも勝ちながら学ぶこともある。 たくさんある。
だから、
本当は、勝ったり、負けたりがよいと思う。
少年野球や中学生、勝ち進むのはウレシイ。 イイ想いでになる。
目標は優勝!っていうところを目指してガンバルのが自然だけど、
どのように、頑張り、目指すか、ってところは、
指導者次第。大人次第。環境次第。
子どもたち自身が、純粋に、みんなで勝ちたい!
ってのは小学生、中学生では、こっぱずかしくて中々上手に表現できない。
それを引っ張ってあげたり(モチベーションアップ)、楽しいと思わせる(練習内容)ことなど、
で、大人が表現の手伝いをしてあげる。
その過程での勝ち、ですね。だから負けてもよい。
というのも、負けて学ぶことのほうが本人にとって、分かりやすかったりして胸に響く。
(くやしいとか。泣いたりとか。)
人生、を考えれば、その方がよい。
「その先」をみて。
それでも勝ちながら学ぶこともある。 たくさんある。
だから、
本当は、勝ったり、負けたりがよいと思う。
2010年4月8日
強いチーム<人集めと人づくり>
“人集めと人づくり"である、とノムラカツヤ氏は言っています。
プロ野球の場合。
でも、その流れ(人集め=スカウト)は、社会人、大学、高校までに及んでいます。
学生は、”教育”をすべきですね。”人づくり”の方。
”人集め”も必要ですが、スカウト、ではなく、野球をとおして教育をするために、
魅力的なチームづくりをすべきかな、と。
みんなが、野球をやりたい、と。
それは”強さ”も、”雰囲気”も。
常に優勝ではなくてもよく、でも、ちゃんと狙えるところに行けるチームづくり。
これは子ども(選手)の問題(人集め)ではなく、指導者を含めた大人の努力(人づくり)かな。
プロ野球の場合。
でも、その流れ(人集め=スカウト)は、社会人、大学、高校までに及んでいます。
学生は、”教育”をすべきですね。”人づくり”の方。
”人集め”も必要ですが、スカウト、ではなく、野球をとおして教育をするために、
魅力的なチームづくりをすべきかな、と。
みんなが、野球をやりたい、と。
それは”強さ”も、”雰囲気”も。
常に優勝ではなくてもよく、でも、ちゃんと狙えるところに行けるチームづくり。
これは子ども(選手)の問題(人集め)ではなく、指導者を含めた大人の努力(人づくり)かな。
2009年2月24日
背・番号
背番号がもらえるか、もらえないか。
何番をもらえるか、一桁か二桁か。
子どもにとって、その発表の時はキドキの時です。でもグラウンドにでたら、背中についている番号。他の人からみての番号です。
一桁、よい番号をもらった子は、その番号に応える強い思い、責任が必要です。この子たちにとっては、大きなものであるべきです。背負う。
二桁、大きな番号をもらった子、自分の想いと違う番号をもらった子にとっては、グラウンドにでれば、あまり大きなものではない。本人がそうは言わないかもしれませんが、そうあるべきで、そう伝えてあげるべき。プレーやがんばりのきっかけになればベター、でも番号にばかりこだわり過ぎても、子どもにとっては解りづらいかも。活躍できるように楽しみ、がんばる。プレーが楽しい。
ベンチいりができない背番号をもらえない子たちにとっては、行動パターンが違うので、ケアがとても大事。なぜもらえないのか、どうしたらそこに近づけるのか、あくまでも自分をよく知る機会で、他との競争での番号奪取を目的にしてはよくありません。親としての大人は、そのポイントに気をつけてあげなければいけません。
ポイントを違うところ―もらえたもらえない、何番か、に持っていってしまうと、子どもにとって、折角の成長機会損失です。
そんな意識、メンタル面での充実を考えてあげないと、子どもがよい育みをしない。チームとしても、まとまらない。お互いを思えること。
ちなみに私は少年野球6年生の時は、20番(ベンチ入りギリギリ)。6年生が5、6人程度だったので、そのレベルはわかるでしょうが。
中学では、2番。大した活動をしている部活ではなかったというのもあるかな。
で、その後草野球では、11番。41番の4の部分をカッターで切って11に加工してあったもの、が最初の番号でした。なんだか愛おしくて、11月生まれというのもあってか、11は好きな番号です。
野球バカ二代: 2.22”22”
何番をもらえるか、一桁か二桁か。
子どもにとって、その発表の時はキドキの時です。でもグラウンドにでたら、背中についている番号。他の人からみての番号です。
一桁、よい番号をもらった子は、その番号に応える強い思い、責任が必要です。この子たちにとっては、大きなものであるべきです。背負う。
二桁、大きな番号をもらった子、自分の想いと違う番号をもらった子にとっては、グラウンドにでれば、あまり大きなものではない。本人がそうは言わないかもしれませんが、そうあるべきで、そう伝えてあげるべき。プレーやがんばりのきっかけになればベター、でも番号にばかりこだわり過ぎても、子どもにとっては解りづらいかも。活躍できるように楽しみ、がんばる。プレーが楽しい。
ベンチいりができない背番号をもらえない子たちにとっては、行動パターンが違うので、ケアがとても大事。なぜもらえないのか、どうしたらそこに近づけるのか、あくまでも自分をよく知る機会で、他との競争での番号奪取を目的にしてはよくありません。親としての大人は、そのポイントに気をつけてあげなければいけません。
ポイントを違うところ―もらえたもらえない、何番か、に持っていってしまうと、子どもにとって、折角の成長機会損失です。
そんな意識、メンタル面での充実を考えてあげないと、子どもがよい育みをしない。チームとしても、まとまらない。お互いを思えること。
ちなみに私は少年野球6年生の時は、20番(ベンチ入りギリギリ)。6年生が5、6人程度だったので、そのレベルはわかるでしょうが。
中学では、2番。大した活動をしている部活ではなかったというのもあるかな。
で、その後草野球では、11番。41番の4の部分をカッターで切って11に加工してあったもの、が最初の番号でした。なんだか愛おしくて、11月生まれというのもあってか、11は好きな番号です。
野球バカ二代: 2.22”22”
2009年2月16日
そうであったり、なかったり。
声が急に低くなり、ヒゲがちらほら生えてきて―。大人になりつつある、成長のサインの一つです。
考え方や興味のポイントも変化が起きる。いろいろと。
野球での練習もガツガツやるかっつったらそうであったり、なかったり。
ゆらゆらしてる。
でも、変わってないかな、関わり方は。だから子どもの方もそうは変わらない。
時に一緒に練習の機会をつくる。
そこで、何かを感じることもある、そうでもない時もある。
尊重して、伝える時は、がっつり説明する。それは一人のヒトとして接する。
子どもだから何々、まだ中学生だから云々というのは、説明にはなってないですね。子どもって何よ?何を知ってて、知らないのか。じゃあ教えてよ、って感じでしょう。ココロの中では、中学生ぐらいってそんな葛藤が特に多いんじゃないでしょうか。自然に接して、解ってあげる、(気持の上で)側にいる。
そうやって、”よい大人になってほしい”ですね。”よい息子でいてほしい”では、子どもの世界が狭まっちゃいますから。
子どもであったり、大人であったり、
そうであったり、なかったり。
野球バカ二代: 愉快→努力→愉快
考え方や興味のポイントも変化が起きる。いろいろと。
野球での練習もガツガツやるかっつったらそうであったり、なかったり。
ゆらゆらしてる。
でも、変わってないかな、関わり方は。だから子どもの方もそうは変わらない。
時に一緒に練習の機会をつくる。
そこで、何かを感じることもある、そうでもない時もある。
尊重して、伝える時は、がっつり説明する。それは一人のヒトとして接する。
子どもだから何々、まだ中学生だから云々というのは、説明にはなってないですね。子どもって何よ?何を知ってて、知らないのか。じゃあ教えてよ、って感じでしょう。ココロの中では、中学生ぐらいってそんな葛藤が特に多いんじゃないでしょうか。自然に接して、解ってあげる、(気持の上で)側にいる。
そうやって、”よい大人になってほしい”ですね。”よい息子でいてほしい”では、子どもの世界が狭まっちゃいますから。
子どもであったり、大人であったり、
そうであったり、なかったり。
野球バカ二代: 愉快→努力→愉快
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